●日本美術の最新動向
村田真(美術ジャーナリスト)
1990 年代以降のアートは、さまざまな表現メディアやスタイルが共存し、ひとつの主義や運動で時代をくくれなくなってきた。そうしたアート内部での動きより、むしろ外部(社会)とのつながりを重視しようとする傾向がこの 10 年間のアートの特徴といえるかもしれない。それは、作品自体が社会的メッセージをもつということのほかに、美術そのものを社会に投げ返すという動きに表れている。具体的にいえば、美術館とは別に世界中のアートのいまを検証する国際展の急増であり、作家が日常空間に入り込み市民とともに作品をつくるアートプロジェクトの隆盛であり、作家や市民が展覧会をつくったりアートスペースを運営したりするアート NPO の試みである。
◎急増する国際展
国際展というと 10 年ほど前までは、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ドクメンタ、サンパウロ・ビエンナーレあたりが定番だったが、 90 年代後半から世界中で急増し、各都市に拡散してきている。とくに光州、台北、上海、シンガポールなど、経済的にも急成長する東アジアでの開催が盛んだ。こうした波に乗って、というより乗り遅れまいとして、ようやく日本でも世紀の変わり目ごろから国際展が開かれるようになった。
口火を切ったのは、福岡市の「福岡アジア美術トリエンナーレ」。福岡市では、福岡市美術館の開館した 1979 年から 5 年に 1 度「アジア美術展」を開催してきた経験と実績を踏まえ、 1999 年に福岡アジア美術館をオープン。その開館記念展をかねて、 3 年に 1 度の「福岡アジア美術トリエンナーレ」を始めたのだ。地域的にはアジアに特化した、しかも西はパキスタンまで(中東は含まれない)という限定的な国際展である。
翌 2000 年には、新潟県の山間部 6 市町村(合併後 2 市町に)にまたがる広域に作品を繰り広げる「越後妻有アートトリエンナーレ」が始まった。観客は山野に点在する作品を地図を頼りに車で見て回る方式だ。第 1 回は 32 カ国から約 150 作家が参加するという破格の規模。毎回半数近い作品が常設になるので、回を追うごとに作品が増えている。この国際展の特異な点は、国際的な文化事業というより、過疎地の地域振興を目的にした公共事業に位置づけられていること。そのため参加作家は地域住人と協働しながら、場所に根ざした作品を制作している。
続く 2001 年、国際交流基金が音頭をとって「横浜トリエンナーレ」を開催。みなとみらい 21 地区の見本市会場と赤レンガ倉庫を中心に、 4 人のディレクターが選んだ 109 作家の作品を展示した。しかし、場所が見本市会場で、ディレクターが 4 人もいては個性を打ち出しにくい。そこで第 2 回は場所探しに手間どって 1 年延期となり、しかも総合ディレクターに指名された建築家の磯崎新が途中で辞任するという騒ぎもあり、結局アーティストの川俣正が総合ディレクターに就任し、山下埠頭の倉庫を会場に 2005 年に開催された。過疎の越後妻有とは逆に、 360 万人もの人口を抱える横浜の市民をどれだけ呼び込めるかが勝負だろう。
◎日常空間でのアートの冒険
美術館から出た屋外美術展やアートプロジェクトも、 90 年代から全国各地で行われるようになってきた。代表的なものに、福岡市の繁華街で繰り広げられてきた「ミュージアム・シティ・天神」、東京芸術大学のある茨城県取手市でおこなわれている「取手アートプロジェクト」などがある。先の「越後妻有アートトリエンナーレ」をここに含めてもいい。これらは都市、郊外、自然の違いはあっても、その場所のもつ固有性や、その地域に住む人たちとの交歓を重視する点では共通している。
「ミュージアム・シティ・天神」は地元の美術家、企業、行政の有志が寄り集まって 1990 年に発足し、 2 年に 1 度開催してきた。出品作家は毎回 10 人前後で、アジアと欧米の海外勢が半分、地元を含めた国内勢が半分というバランスの取れた配分だ。地域に根ざした展覧会を目指しているので、ただ作品をもってきて展示するだけでなく、作家に町を見せてその場で制作してもらおうと、 1998 年からアーティスト・イン・レジデンスを導入。これによって作家同士、あるいは作家と地域住民との交流を可能にした。
「取手アートプロジェクト」は、東京芸大の取手校地に先端芸術表現科が新設された 1999 年に、芸大、取手市、市民の 3 者によって立ち上がる。取手市内に公募で集めた作品を点在させ、色を塗ったリサイクル自転車で見て回る方式にしたため「取手リ・サイクリングアートプロジェクト」と呼ばれた。市民との連携を深めていくため、 04 年からアートマネジメントを学ぶ「 TAP 塾」を開講したり、招待作家をゲスト・プロデューサーにして、公募の入選作家をプロデュースさせるなど、毎回さまざまな工夫を凝らしている。
こうした屋外展に出品された作品は、パブリックアートと違って会期が終われば撤去されるが、見方を変えればテンポラリーなパブリックアートと考えてもいい。むしろ、公共空間に恒久設置するパブリックアートが、安全性や耐久性を第一に考えなければならないのに比べれば、屋外展示のほうがより自由な表現が可能だという強みがある。
いずれにせよこれらは、美術館に閉じこめられてきたアートを再び日常空間に出すことで、アートに社会性を取り戻そうとする試みだといえる。
◎地域に根ざすアート NPO
ミュージアム・シティにしろ、取手アートプロジェクトにしろ、美術館のようにつくる人と見る人が一方通行的に分かれておらず、また画廊のように営利目的でもなく、アーティストやキュレーター、市民のサポーターやボランティアが協働することで支えられている。彼らが活動をよりやりやすくするために、 NPO を設立したり、アートスペースを運営したりする動きも出始めている。
たとえば、青森県の NPO harappa (ハラッパ)。これは地元出身の画家、奈良美智の個展誘致がきっかけだった。 2001 年から「奈良美智展」が全国の美術館を巡回していたが、まだ県立美術館のなかった青森でもぜひ開催したいと一般市民が実行委員会を結成。弘前市の吉井酒造が赤レンガ倉庫を無償で提供して、 2002 年の夏に実現した。のべ 3500 人ものボランティアが働き、 6 万人もの入場者を数えたという。人口 17 万人の都市では驚異的な動員数だ。
これをきっかけに翌年、市民とともにアートの豊かな世界をつくり享受していくことを目的に、有志が NPO harappa を設立。地元で展覧会のほか、映画上映、コンサート、演劇やダンスの公演などを開催している。ちなみに「 harappa 」とは、その 3 年後に開館する青森県立美術館を設計した建築家の青木淳の著書『原っぱと遊園地』からとられた。遊び方の決まっている遊園地ではなく、自発的に遊びを見つけていく原っぱでありたいとの願いが込められている。
一方、 NPO の運営するアートスペースでは横浜の BankART1929 を例にとろう。これは横浜市が推進する文化芸術創造都市構想のひとつの核となるプロジェクトで、使われなくなった歴史的建造物を NPO の手にゆだね、アートのために再利用して文化的に活性化させるのがねらいだ。いわば公設民営のスペースである。そのため「横浜写真館」とか、「食と現代美術」展とか、「大野一雄フェスティバル」とか、展覧会やイベントは基本的に横浜に由来する、または生活に密着したテーマが優先される。
ちなみに名前の由来は、その建物が 1929 年にできた銀行建築だったことから付けられた。このようにアート NPO やアートスペースが各地に増えていったとしても、美術館の役割がなくなることはない。 NPO やアートスペースは市民の手づくりによる地域密着型の活動であり、美術館とは棲み分けが可能だからだ。むしろ逆に、美術館がコレクションや企画展といった本来の活動に専念するためにも、こうした NPO の活動は重要なのである。
◎ 2006 年の動向
2006 年夏の話題は青森県と新潟県という地方に集中した。 7 月に、青森市内に青森県立美術館が開館し、弘前市では同県出身の奈良美智とクリエーター集団 graf による「 A to Z 」展が開かれ、新潟県の山間部では「越後妻有アートトリエンナーレ」が開催されたからだ。
1980 年代から続いた公立美術館建設ラッシュも世紀が変わるころには一段落した感があるが、青森県立美術館は 2004 年開館の金沢 21 世紀美術館に次いで注目を集めた鳴り物入りの大型美術館だ。場所は青森市街からやや離れているものの、三内丸山遺跡に隣接したロケーション。その遺跡の竪穴式住居跡にヒントを得たという建築は、展示室をなかば地中に埋め込んで、壁や床の一部を土のまま残すというユニークなコンセプト。設計は国際的に注目される建築家の青木淳。金沢 21 世紀美術館もそうだが、いまや有名建築家に美術館をデザインさせ、観光の目玉にするというのが世界的な潮流になっている。コレクションは、シャガールのバレエ背景画《アレコ》を中心に、地元ゆかりの棟方志功や奈良美智らの作品を集めている。
奈良が 2002 年に個展を開いた弘前の吉井酒造煉瓦倉庫で、 graf とともに実現させた展覧会が「 A to Z 」だ。これは倉庫内に A から Z まで 26 個の小屋を設け、そのなかに奈良の作品を展示するというもの。前年から横浜トリエンナーレをはじめ各地で少しずつ発表してきた小屋を集大成したかたちだが、実際には 26 個の小屋にとどまらず、倉庫全体を使った大規模なインスタレーションとなった。このプロジェクトを推進したのが前述の NPO harappa (ハラッパ)であり、その名づけ親が青森県立美術館を設計した青木淳であることは偶然ではない。
一方、新潟県に目を移すと、「越後妻有アートトリエンナーレ」が 3 回目を迎えた。このトリエンナーレは毎回さまざまな趣向を凝らすが、今回の新機軸は「空家プロジェクト」。これは、過疎地のうえ 2 年前の中越地震で拍車がかかった空家や廃校を文化的に再生していくプロジェクトで、内部に作品を展示したり、建物自体を作品化していこうというもの。クリスチャン・ボルタンスキーらが廃校をお化け屋敷にように変えた《最後の教室》、日大芸術学部彫刻コース有志が廃屋全体に彫刻刀で彫りを入れた《脱皮する家》など労作が多い。しかし一時的な展示場で終わっては元も子もないので、オーナーを募集し、改修をかけて残そうと試みている。同展はもはや美術展の枠を超え、社会運動的な広がりをもち始めている。
この「空家プロジェクト」のうちの 1 軒を買い取った横浜の BankART1929 は、ここをサマースクールなどの合宿所として利用していく方針だ。また、 BankART は横浜市内にも空家を借りて、「桜荘」と名づけたアーティスト・イン・レジデンスを始め、外来のアーティストを滞在させている。
アーティスト・イン・レジデンスといえば、 10 年ほど前に全国的な広がりを見せてから一時停滞していた観があるが、 2006 年は再び活発化し始めたようだ。横浜美術館では、館内でレジデンスならぬスタジオを提供する「アーティスト・イン・ミュージアム」を始めたし、石原慎太郎東京都知事の推進するトーキョーワンダーサイトでは、青山のビルのフロアを借りて、アーティストに限定しない「クリエーター・イン・レジデンス」を開始している。美術館で展覧会を開くことに比べれば、アーティストを呼んで滞在・制作してもらうほうがずっと安くすむ。苦しい財政事情の昨今、目先の利益より将来の可能性に賭けた試みといえようか。
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