●日本の美術界の構造
村田真(美術ジャーナリスト)
日本の美術界を理解するために、まずはそのいびつな構造について触れておかなければならない。でなければ、わが国の美術館や画廊の特殊性が理解できないからだ。第一に指摘しなければいけないのは、日本の美術界は価値観の異なるふたつの世界に大きく分かれているということだ。ひとつは、日展や二科展といった公募団体展系の世界であり、もうひとつは、そうした団体に属さないでインディペンデントに活動する現代美術の世界である。
◎分断されたふたつの世界
まずは公募団体の世界について。公募団体とは、文字どおり作品を公募して入選作と会員の作品を展示する美術団体のことだ。日展、二科会のほか、日本美術院、春陽会、新制作協会など、主だったものでも 100 以上あり、上野の東京都美術館などで定期的に展覧会を開く。いわゆる画壇を形成しているのはこうした団体系の作家たちである。
その公募展で何度か入選を重ねれば会員や同人に推薦され、順調に出世すれば理事や理事長になり、文化勲章でも受けることができればゴールとなる。このようなピラミッド構造は組織としては安定しているものの、出世するには芸術性より政治力や師弟関係がものをいい、新しい創造や実験的な試みはむしろその妨げになりかねない。これはまさに日本の社会の縮図であり、「非芸術的な世界」といわざるをえない。
もともと日展は、明治時代に文部省が開いた官設の文展を前身とするが、その文展から分かれた二科会にしろ、岡倉天心が日本美術の振興を目的に設立した日本美術院にしろ、出発点は高邁な理想を掲げる革新的な在野団体だった。しかし時が経つにつれ理想は形骸化し、在野精神も薄れて保守的・権威的になるのが世の常。その歴史性と安定感において団体展は今も大衆的な人気を得ているものの、もはやそこからアートの革新は望めそうにない。
たとえば、公募展にはたいてい日本画・洋画・彫刻・工芸などの部門が設けられているが、そうしたジャンル分け自体がもはや時代遅れであり、 20 世紀後半に登場したインスタレーションやメディアアートなどの新しい表現はすべて抜け落ちてしまう。したがって、現代美術を目指す作家たちは、たとえ公募団体に入りたくても門前払いを食うことになる。もっとも現代美術は個性やオリジナリティを重視するので、初めから団体などに属そうと思わないはずだが。
こうした現代美術系の作家たちは、組織に縛られることなく自由に制作・発表できる反面、地位も経済的にも安定しない。しかも現代美術というと難解だと思われがちで大衆的な人気もない。だから彼らの多くは国内で評価されるよりも、むしろ海外に照準を合わせることになる。つまり、世界のアートマーケットで通用する可能性があるのは、現代美術のほうなのだ。
◎平山郁夫と河原温
例を挙げよう。公募団体系の代表を平山郁夫、現代美術の代表を河原温としてみる。東京芸術大学学長や日本美術院の理事長を務め、文化勲章も受章した平山は、国内では知らぬ者はいない国民的画家だ。デパートや美術館はこぞって彼の個展を開き、毎年高額納税者の上位にランクされるほど経済的な成功を得ているが、海外のアートマーケットや、欧米の美術館、国際展で彼の作品に出合うことはまずない。
一方の河原温は、団体に属していないのはもちろんのこと、日本という均質な集団にすら背を向け、欧米を舞台に活躍する一匹狼である。日本での知名度は低いものの、世界ではトップクラスのアーティストとして認められており、主要な美術館や国際展ではしばしばその作品にお目にかかる。 10 年ほど前にようやく日本の美術館でも回顧展が開かれたものの、企画したのは海外の美術館であり、それが日本に逆輸入された構図だ。
このように海外で活躍する日本人作家はまだまだ少ないけれど、河原に続き、草間弥生、杉本博司、川俣正らが登場し、最近では村上隆が奮闘している。グローバル化が進む現在、こうした現代美術の重みが増してきていることは確かである。
ただし断っておくが、いま述べたことはあくまでグローバル・スタンダードの視点からの評価であって、どちらが正しいということではない。そもそもグローバル・スタンダードとはイコール欧米の評価といってよく、それのみを絶対視するのが危険であることは言うまでもない。かといって、それを無視して国内にしか目を向けないのはもっと危険であるが。
ともあれ、日本の美術界はこうした価値基準の異なるふたつの世界に二分され、それぞれの評価も内外で正反対を向いているという事実を理解しておいていただきたい。
◎貸画廊という独自の制度
わが国では美術館も画廊も、このふたつの世界を基盤に成り立っているといっても過言ではない。
ではまず画廊からみていこう。画廊といえば一般に展覧会を企画して作品を売る企画画廊(コマーシャル・ギャラリー)を指すが、それとは別に作家にスペースを賃貸する貸画廊(レンタル・ギャラリー)もある。この日本独自の貸画廊に関して、本来作品を売るはずの画廊が逆に作家からレンタル料を取るため、作家からの批判は根強い。
反面、レンタル料さえ払えば自由な作品発表が保証されるというメリットは小さくない。したがって貸画廊を借りるのは、ほかに発表の場をもたない現代美術系の作家が多いようだ。ちなみに、日本一の画廊街として知られる銀座には 243 軒の画廊があるが、貸画廊はそのうち 106 軒を占めている(『 BT 美術手帖年鑑 2004 』調べ)。
現代美術の作家はまず貸画廊で作品を世に問い、認められれば企画画廊にステップアップする。美術館の企画展に呼ばれたり、作品がコレクションされるようになれば一人前だ。さらにヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタなどの国際展に招待されて、ようやく国際的アーティストの仲間入りとなる。これが現代美術の出世コースであり、貸画廊はその登竜門に位置づけられている。これも一種のピラミッド構造といえなくもないが、公募団体と比べれば格段に自由度は高い。
しかし、近年、貸画廊を巡る状況は変化しつつある。それは、若手作家を対象とするコンクールや企業ギャラリー、 NPO の運営するアートスペースなどが増えているからだ。また、画廊や美術館といった既存の美術施設ではない場所で、展覧会やアートプロジェクトを展開することも珍しくなくなった。つまり選択肢が多様化し、貸画廊を通らなくても作家への第一歩が踏み出せるようになったということだ。
さらに、 30 〜 40 代の若手画商が現代美術専門の画廊を相次いで開設していることも見逃せない。彼らは同地代の作品を国内だけでなく海外でも売買していく、いわば国際感覚を身につけた新世代の画商といえる。店を開くのも、老舗画廊の集中する銀座から離れ、東京都内でも地代が安くて場所の広い清澄白河の倉庫ビルをはじめ、六本木、神楽坂あたりに偏る。このように、自分の作品を売ってくれる同世代の画商が現れれば、作家側もわざわざ大金を払って貸画廊で発表する必要はなくなっていくはずである。
◎変わりつつある美術館
美術館も、日本の美術界の特殊事情を反映していびつな構造を抱えている。日本でもっとも歴史の古い美術館は、現在の東京国立博物館だが、その前身は維新期の 1872 (明治 5 )年に東京・湯島聖堂を借りて開かれた「博覧会」にさかのぼる。これは翌年のウィーン万国博への参加準備を兼ねて、全国から古器旧物を集めたもの。美術館とは「館」がつくから建物のことだと思いがちだが、この例からわかるように、建物がなくてもコレクションさえあれば美術館は成り立つ。つまり、初めにコレクションありきなのだ。
ところが日本では、コレクションがなくても展覧会を開けば「美術館」と呼ばれる。 1980 年代に林立し、 2000 年前後にそのほとんどが消滅したデパート内に設けられた美術館がいい例だ。なぜこのような誤解が生じてしまったのだろうか。実はそのひとつの原因に公募団体がからんでいるのだ。
公立では最初の東京都美術館(当初は東京府美術館)が東京・上野に開館したのは 1926 年のこと。この美術館は作家たちの強い要望もあって公募団体展の貸会場として出発し、長いあいだ作品収集にも企画展示にも力を入れてこなかった。設立が関東大震災後のことでもあり、美術館の役割もまだ明確でなかった時代なので、新たに作品を購入するより、美術団体に貸して賃貸料をもらうほうが運営的にも楽だったことは間違いない。
しかし首都の美術館のこの選択は、中身がなくてもハコさえつくれば美術館になるという悪しき誤解を生み、 70 年代から建設ラッシュを迎える全国の公立美術館の前例になってしまった。そうしたハコモノ行政を底辺で支えていたのが、全国に支部をもち発表の場を求める公募団体だったのだ。
東京都美術館はその後、 75 年に建て替えられた際に企画展示棟が新設され、団体展とは別に企画展の開催が可能になった。だが今度は、徐々に増え続けるコレクションの常設展示棟が必要となってくる。これは 95 年に、企画展示棟と常設展示棟をもつ東京都現代美術館を木場に建設したことで解決される。こうして上野では公募団体展、木場では現代美術の企画展と常設展というふうに棲み分けが可能になった。
近年新設される大型の公立美術館には、このように現代美術を中心とした企画展示室と常設展示室を備えているところが多い。 21 世紀以降に開館した兵庫県立美術館、金沢 21 世紀美術館、青森県立美術館などは建築的にも注目されるが、内容的も充実した現代美術コレクションと企画展で知られている。
こうしてみると、時代は明らかに現代美術のほうに傾き、公募団体は落日の感があるが、しかし現代美術に対する風当たりが強まりつつあるのも事実だ。というのも、いくら先鋭的なコンセプトを掲げても人が入らなければ続かないからだ。そのため東京都現代美術館では毎年、大量動員を期待できるアニメ展やマンガ展が恒例となった。また、同館をはじめ金沢 21 世紀美術館も青森県立美術館も、現代美術を推進してきた学芸の責任者が他館に異動させられるという事態が起こっている。
こうした流れを象徴するのが、国立美術館の独立行政法人化であり、公立美術館における指定管理者制度の導入である。いずれも政府の提唱する「民営化」の流れを受けた動きで、経済効率のきわめて低い国公立美術館の経費削減とサービス向上を図るのがねらいとされている。 2001 年に発足した国立美術館の独法化は、簡単にいえば、美術館も少しは民間企業のように経営努力をせよということだ。指定管理者制度はいわばその地方版で、公立美術館の管理運営を民間企業や NPO 法人にも開放しようというものだ。しかし、はたして芸術文化に効率化や採算性がなじむのか、問題は残る。
一方、公募団体の巻き返しともいえるのが、 2007 年に東京・六本木に開館した国立新美術館である。これは、上野の東京都美術館では手狭になった美術団体が政府に要望し、実現した公募団体展のための貸し会場だ。一部に企画展示場はあるものの、コレクションはない。したがって「美術館」というより巨大な「貸画廊」というべきだろう。その英語表記を見ると「 The National Art Center, Tokyo 」となっていて、「 Museum 」とは謳っていない。つまり、日本人向けには「美術館」と称し、外国人向けには「アートセンター」としているのだ。いっそのこと「ナショナル・レンタル・ギャラリー」とでも呼べばいいのにと思ってしまう。
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