●日本のインディペンデント映画の状況

山名尚志、西村隆

 2006 年の、日本映画公開本数は1年間で 417 本と戦後で最高の数字となった。その内、メジャーの配給にのる映画は 70 本程度。独自の興行ルートを持つ約 80 本のピンク映画を除く残りの約 250 本がいわゆる「インディペンデント映画」ということになる。

 日本のインディペンデント映画の流れが確立されたのは 1960 年代である。その流れの発端の1つが 1961 年に設立された「日本アートシアターギルド( ATG )」の存在である。世界各国のアート系映画を日本に紹介するという趣旨で設立された ATG は、 60 年代後半になると、日本国内で商業映画の枠内に収まりきれない映画企画の製作に乗り出すようになっていった。

 ATG が製作活動を始めた時期は、また、テレビの影響による映画市場の縮小が顕著となり、映画大手各社が製作部門の切り離しを図っていた時期でもあった。この中で多くの監督、制作スタッフが、「独立プロダクション」を設立。大手映画会社からの制約を受けない自由な映画づくりを目指していた。 ATG の映画制作はこうした独立プロダクションを受け皿としたものであり、大島渚、今村昌平など、それまで大手で活躍していた気鋭の監督のインディペンデント作品が多数生まれている。

 70 年代までの日本のインディペンデント映画は、大手映画会社に「就職」し、その後独立した、「プロ」としてのキャリアを映画業界でスタートした人材を中心に展開していた。しかし、 70 年代も後半になると、常設の製作部門を実質的に手放してしまった大手各社からの人材の流れは全く途絶えてしまう。替わりに大きな人材源となったのが、学生やアマチュアの自主制作活動グループであり、また、相変わらずの大量生産体制を維持できていたポルノ映画の現場などであった。

 学生、アマチュアからプロへの登竜門として機能したのが、 1977 年「ぴあ展」という名前でスタートした情報誌出版会社のぴあが運営する「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」である。 1984 年に「家族ゲーム」で国内の映画賞を総なめにした森田芳光、バーミンガム映画祭やオスロ映画祭のグランプリを受賞している石井聰互、「鉄男」でローマ国際ファンタスティック映画祭を制した塚本晋也など、PFFをきっかけにデビューした監督は数多い。またポルノ映画出身の監督では、 1997 年に「 CURE 」で世界的な評価を確定した「日本ホラーのゴッドファーザー」の黒沢清、「櫻の園」の中原俊、「 Shall We Dance 」で米国における実写日本映画の興行記録を持つ周防正行、「月はどっちに出ている」の崔洋一などがいる。

 80 年代後半から 90 年代に入っていくと、ポルノ映画出身者はポルノ映画自体の衰退から減少する一方、ミュージックビデオやテレビ、あるいは V シネマ(ビデオ専用の映画、ドラマ)等が新たな人材供給源として大きくなってきた。例えば「スワロウテイル」を大ヒットさせた岩井俊二はミュージックビデオからキャリアをはじめ、テレビドラマを経て、映画監督となっている。カンヌで最優秀男優賞を受けた「誰も知らない」の監督、是枝裕和もテレビの制作プロダクション出身。芸人出身ということで事情は違うが、北野武も、テレビ業界出身ということができるだろう。また、「呪怨」の監督である清水崇、米「 TIME 」によりジョン・ウーと並ぶ評価を受けた三池崇史は V シネマ(レンタルビデオ市場で流通させることを前提とした低予算映画)出身である。

 映画大手各社が社員としての監督、スタッフの育成を放棄している日本映画界の現状においては、自主制作映画や独立系の小作品、つまりインディペンデント映画自体がほぼ唯一の「映画監督、スタッフ」になるための道筋であり、その意味では、インディペンデント映画は、商業映画と独立した存在というより、その基盤として考えた方がわかりやすい。

 日本においてインディペンデント映画と商業映画の区分けを不明瞭にしているもう1つの要因は、ヨーロッパ諸国やカナダ、オーストラリア、韓国といった国々とは異なり、映画に対する公的な助成が殆どないということである。諸外国のインディペンデント映画の企画が、大なり小なり「どういった助成を受けられるか」ということをプロデュース面での企画の出発点としうるのに対し、日本では、ミニシアターなり、ビデオなりといったルートでの資金回収、つまりは「ビジネス」としてしかお金は回っていかない。その意味では、日本においては、インディペンデント映画も、また、1つの「商業映画」であるということもできる。その多くが非常識なまでの資金不足に悩んでいるにしても、である。

 にも関わらず、日本のインディペンデント映画やその出身者の作品の国際的な評価は高い。 1997 年、 5 月のカンヌ映画祭において今村昌平監督の「うなぎ」がパルム・ドールを、同時に河瀬直美監督の「萌の朱雀」がカメラ・ドール(新人監督賞)とダブルでの受賞を果たし、さらに 9 月のベネチア映画祭では、北野武監督の「 HANA-BI 」が金獅子賞を受賞。日本の 3 世代にわたるインディペンデント作家が国際的な場においてそれぞれ最高賞に評価されるという快挙を成し遂げた。

 世界的に評価されるアート・フィルムの発信源として、また、先に述べた邦画ブームの礎として、日本のインディペンデント映画コミュニティは、力強くその歩みを続けている。

 

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